受刑者と遺族の人権問題

受刑者の人権の考え方

刑務所内での受刑者に対する人権というものをみなさんは考えた事があるでしょうか?
「犯罪者の人権なんか考える必要はない」と考える人も多いのではないでしょうか?
殺人などの凶悪犯については、犯罪に至った経緯や動機、さらには育った家庭環境等も十分考慮の上、議論の余地はあるのかもしれません。
(たとえ殺人者であろうと、最低限の人権は守られなければなりません)
ですが、受刑者にも犯した罪の大きさや反省の度合い、社会復帰した場合の社会貢献の期待度など、その人の評価は千差万別です。
中には情状の余地が十分にある受刑者もいることでしょう。
そうした人たちをひとくくりにして、受刑者の人権はこうだと決めつける事はできません。
人権擁護を真剣に考える人たちの中には、どんな受刑者だろうと平等に扱うべきだと主張する人もいるでしょう。
当たり前のように正論なのですが、日本ではご存じの通り死刑制度があります。
先進国の中で死刑制度を存置しているのは、日本とアメリカだけです。
人権という観点からすると、死刑制度がある以上、死刑判決を受けた受刑者の人権はないに等しい状態であるといえます。

遺族の人権

殺人事件の受刑者の人権を議論する上で、受刑者側の立場のみで偏ったものの考え方をしてはいけません。
最も擁護されるべきは残された遺族の人権であるべきだからです。
よく言われる問題では、テレビや新聞などの報道で、被害者はすぐに名前も顔写真も公表されるのに、加害者の情報は公表されないケースが多々あります。
加害者が未成年や行為無能力者の場合はなおさらです。
この報道体系のありかたには、賛否さまざまなものが多く寄せられます。
「報道は事実を正しく伝え、歴史を正しく残すことであり、それには実名報道は必要不可欠である」
これは、元共同通信論説副委員長の藤田博司氏の言葉です。
実名報道が必要なもう一つの根拠は、それが情報を検証する際の重要な手がかりとなる場合があり、実名がなければ検証する事すらできない。とも語っています。

山口県光市の母子殺害事件のケース
1999年8平成11年)4月14日、事件は発生しました。
当時18才の少年だった福田孝行(後に養子縁組により、大槻孝行に改名)は、当時23才の主婦を殺害後、死姦。さらに娘もその手にかけるという残忍な事件でした。
その後、犯人である少年は起訴され、2000年3月22日、山口地裁において無期懲役の判決が言い渡されます。
(拘置所内で福田被告が友人に出した大量の手紙がマスコミに公開されましたが、内容は遺族の心情を逆なでする許しがたいものでした。)

この判決を不服とした夫の本村洋さんは、このころからマスコミに頻繁に露出するようになり、「司法に負けた」と怒りを露わにするようになりました。
有名な話として、裁判の傍聴に訪れた本村さんは、亡き妻の遺影を掲げて入廷しようとしたところ、係員から遺影の持ち込みを断られ、そのことに対して痛烈に批判をしました。これは社会現象ともなり、世論を大きく動かしたばかりでなく、司法までも覆す前代未聞の活動となっていくのです。
この一件がきっかけとなり、後の日本の裁判では、遺族の遺影持ち込みが許される事となる大きな一石を投じる事となりました。
本村さんが投じた石はこれだけではありません。
山口地裁の判決でもわかるように、いくら殺人事件とはいえ、加害者が未成年の場合は少年法によって守られるというのが社会通念上の常識でした。
しかし、本村さんは諦めず、必死に遺族の人権を世に訴え、2006年6月20日、最高裁判所によって高裁判決の差戻審を勝ち取ったのです。
2012年2月20日、最高裁判決によって、福田被告の死刑判決が確定しました。

この事件から考えさせられること
この事件ほど遺族が心情を露わにし、遺族の人権を訴えた例は他にないと言っても過言ではありません。
それまでこのような事件では、遺族はほとんど泣き寝入りするしかない状態でしたが、最高裁判所が判決の判断材料として、遺族の心情を組みとった異例中の異例であることは間違いありません。
この事件は事件発生から判決まで13年もの歳月を要しました。
遺族は本当につらかった事でしょう。
遺族の人権問題を真剣に考えさせられる一件であった事は間違いありません。

死刑制度と人権問題

人権問題を語る上で、日本の死刑制度は避けては通れません。
先進国で死刑制度を存置しているのは、アメリカと日本だけです。
人が人に死の裁きを与える・・・人権の観点からするとあってはならない話です。
しかし、日本人の85%が死刑制度に賛成という統計データもあり、犯罪抑止力の大きな要因である事も事実です。
イギリスやフランス・ロシアなどは、死刑はありませんが、その場で射殺する事例があとを絶ちません。
それに比べれば裁判で審理し、判決の上での死刑執行はまだマシだという意見もあります。

死刑制度反対論者がよく言われるものとして、「もし自分の子供や妻・夫が残忍な手口で殺害された場合、それでも死刑反対と大声で言えるか」と肯定派から問われる事があります。
これは正に正論です。これを言われたら返す言葉はないのではないでしょうか。
死刑制度の是非を議論するには、様々な要素や背景を考慮しなければいけません。
木を見て森を見ないような議論はナンセンスです。
映画「私は貝になりたい」では、主人公演じるスマップの中居正広さんが、軍の上官に命じられ、捕虜として捕えた米兵を殺害した罪(実際は殺せなかった)によって死刑判決を言い渡され、執行されましたが、あれは絶対にあってはならない事です。
では、「遺族の人権」で挙げた光市母子殺害事件の例はどうでしょうか?
賛否様々だとは思いますが、死刑制度と人権問題は根っこの深い大きな問題です。
私たち国民は、このことに留意して、真剣に取り組まなければいけないのではないでしょうか。

刑務所内で起きた主な暴行事件

●名古屋刑務所リンチ殺害事件
2001年~2002年にかけて、名古屋刑務所内で刑務官による受刑者へのリンチ殺害事件が相次いで発生。
手口は極めて残忍で、他の囚人たちがいない独居房で、消防用の高水圧ホースを全開にし、受刑者めがけて至近距離から浴びせ、死亡させた。
別の事件では、同刑務所内において革手錠を受刑者の腹部に巻き、強烈に締め上げて死亡させた事件などがある。
死亡した受刑者の腹回りは80センチだったが、革手錠は60センチで固定で締めあげ、約2時間も放置した後、死亡した。
当初、これらの事件は名古屋刑務所と法務省矯正局が一体となってこの事実を隠ぺいし、発覚後も無実を主張し続けた。
その後裁判となったが、判決は執行猶予付きの軽い量刑となっている。

●松山刑務所強姦事件
1966年、看守が服役中の暴力団員を手引きし、服役中の女性受刑者を強姦するという事件が起きた。
その被害者の中に、ホステスを殺害して15年間の逃亡生活の挙句、時効寸前で逮捕されたあの福田和子も含まれていた。
当時の福田和子は18才で、別件で逮捕されて服役していた。
この事件に関与した看守は、責任を感じて自ら命を絶っている。